仕事はどんな業種でも大変なのは当たり前です。
自分らが子供の頃って、父親や母親は多少体調が悪かろうが当たり前のように仕事に行っていました。
仕事は大変、ちょっとぐらい調子が悪かったり、きつかったりしても休むもんじゃない。
そういった両親の背中を見てきた人って日本人では多いでしょう。
そのため多少きつくても弱音を吐かずに耐え忍ぶ精神が我々の中には植えつけられています。
多少労働時間が長かろうが気にしない。
多少労働時間が長かろうが頑張ろう。
多少労働時間が長かろうが・・・・。
果たして本当にそうなのだろうか?
もちろん大変だからという理由だけで仕事を放棄してしまったら、何も残らないかもしれないが、長時間労働に対してただ大変だという認識だけで漫然と過ごしていると、それはそれでリスクが高いと言えます。
長時間労働が我々から奪う本当のモノと長時間労働で退職することのメリットを解説します!
長時間労働の危険性
飲食店などのサービス業は長時間労働が普通に横行しています。働く側もあまり疑問視せずにやっている人が多い。
しかし実際の所結構大変です。特にそれが長期に渡って続いてくると、肉体的にだけでなく精神的にも堪えてきます。
長時間労働って体力的な大変さが突出するために、ある一つの事柄を見失ってしまいがちです。
「時間が長いからキツイよ・・・。」
で終わってしまい、疲れて眠ればまた再び翌日から同じように長時間労働が繰り返される。なんとなく辞めたいと思いながらも特に何もせず過ごしてしまう。
実はここで一番消費するのって体力ではありません。
長時間労働で一番消費するのは時間です。もっと突っ込んで言うと「自分自身が自由に使える持ち時間」です。
ここに一番リスクがあると言えるでしょう。
人生の持ち時間は意外なほど少ない
日本人男性の平均寿命は80歳と言われています。
仮に今自分が30歳だとして、残りの寿命が50年です。一年は時間で表すと8760時間。
8760×50年=438000時間。
およそ44万時間です。
自分自身の人生の持ち時間はトータルで44万時間。
これを読んで多いとか少ないとかの感じ方は人それぞれかもしれないです。
ただ私はこの時間が非常に少なく感じます。なぜならこれは単なるトータルの持ち時間だから。
人間は休息が必要なのでここから睡眠時間が引かれます。
少なく見積もって1日の睡眠時間を6時間とします。一年で寝る時間が6×365で2190時間です。
これが50年分だと2190×50で109500時間。⇐これが50年分の睡眠時間。
上記の残り持ち時間である438000から109500を引くと・・・・自分自身の起きている時間(意識のある時間)は328500時間です。
どうでしょうか?
残り時間が33万時間という事実。
もちろん30歳という前提なので、35歳、40歳の人は人生の持ち時間がもっと少ない。
長時間労働で奪われるものはこの「持ち時間」です。
時間に対する感覚の希薄性
サラリーマンの方って得てして時間に対する認識が弱いと思います。
企業や組織の中にいると、
「自分は雇われている存在」
こういった感覚が強いため大切なモノを失っている感が希薄になる。毎日が当たり前のように存在し、雇われて仕事をしている以上は多少なりとも嫌な事を我慢しなければならない。
長時間労働でどんどん時間を失っているのにそれを忙しいと認識する。
企業は労働する人間に対して、どれだけ利益を生み出せるのかといった「生産性」を求めます。ただ同時に労働者は自分の貴重な「持ち時間」を売っています。
使用者は労働者から得る「生産性」に対して「金」を支払います。
労働者は使用者に「持ち時間」を売り「金」を得ます。
ここにズレがあります。
労働者は使用者に決して「生産性」など売っていない。売っているのは「持ち時間」なのです。
貴重な時間を提供する以上は1時間1時間を内容の濃いものにしたいのは当然。
嫌な感情、しょーもない感情に支配されて時間を浪費していたらそれは単なる持ち時間の安売りに過ぎないのです。
しかしながら長時間労働で拘束されている人ってこうした嫌な負の感情で支配されている方がほとんど。
本来好きな事、好きな人と過ごしたいのに、嫌な事、嫌な人と過ごすことに自分の時間を売っているのです。
長時間労働で失っている一番大切なものは「好きな事、好きな人と過ごせる時間」なのです。
単純に肉体的な疲労だけではない訳です。
まとめ
ここら辺の感覚や感じ方は人それぞれかもしれません。もちろん日々の生活という問題もありますから長時間労働が嫌といっていきなり仕事を辞めるわけにもいかないでしょう。
生きている上で仕事を手段とするのか目的にするのかの違いもあります。
仕事を稼ぐための手段として利用し、日々裕福な暮らしを送るのが目的の人。
仕事自体にやりがいや楽しさを感じ、仕事と共に日々歩むのが目的の人。
もし仕事を手段として捉えているのであれば、長時間労働で失う本当のものに目を向け自分の人生を見つめ直すのもありです。
ここをしっかり見極めた上で退職なり転職なりするのは、悪だとは言い切れないでしょう。